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地域主権 (平成22年9月28日 本会議一般質問より)


 まず、主権とはということについて、私が非常に感銘を受けました竹田恒泰先生の御講演や論文のうち、主権に関する部分を私なりの理解で要約、また、意訳しつつ論じてみたいと思います。
 主権という言葉、これ、広辞苑によると、こうあります。「国家の政治のあり方を最終的に決める権利」こう書いてあるわけです。
 明治憲法では天皇に主権があり、現行憲法では国民にある。確かに私も学校ではそう教わった覚えがありますし、現在、我が愚息が使用する中学校公民教科書、これを確認したが同様でございました。この広辞苑の言う今の権利「国家の政治のあり方を最終的に決める権利」この主権が天皇から国民に移ったというのであります。
 しかし、現実にはいかがでございましょうか。近現代史を振り返って、明治憲法下において、天皇に政府と統帥部が決定した国策を覆す、そんな権能はありませんでした。明治憲法制定以来、現在に至るまで、憲政史上で天皇が直接国策を御決定あそばされたのは、昭和20年、終戦の御聖断のみであります。そのほかについては、議会や内閣等で議論し決定し、それを天皇が裁可、公布等することで、初めて効力が発せられました。
 この終戦の御聖断については、現行憲法下では不可能ですが、明治憲法では天皇に形式的に権限があったため、可能でした。可能ではあったけれども、これを行使しないことが明治憲法下では慣習として成立しており、つまり、現在と同様、実質的に国策を決定しているのは国民であり、天皇は国策決定に実質的な権能を持たなかったということであります。
 国策決定という主権の実質的側面を国民が行使し、それを公布するという形式的側面を天皇が行使する。そのことで、国家の政治のあり方を最終的に決める権利たる主権が行使をされるわけであります。実質的側面を権力、形式的側面を権威と置きかえるとわかりやすいのではないでしょうか。
 この構造に新旧憲法下で実質的な差はなく、いずれの時代においても、日本国の主権は天皇と国民のきずなの上に成立しており、これを君民一体の国体と申し上げます。
 欧州における近世初期の絶対君主制では、国の政治のあり方は君主の意思によって決定されましたが、これに反して起こったのが民主主義であり、フランス革命もロシア革命も、君主から主権を取り上げる戦いでありました。よって西洋では、君主主義と民主主義は対立する概念です。
 ところが、日本においては、将軍などの権力者が民衆と対立することはあっても、古来、天皇と国民は対立関係になく、君主主義と民主主義は対立しておりません。よって西洋の感覚で日本の主権や民主主義を論じても、全く意味をなさないのであります。
 君民の関係の上に主権が成立する日本の国体の構造は、他国に類を見ない仕組みであろうと思われます。この日本の国体が、西洋人が憲法を持つはるか昔から成立をしていたということを明記しておきたいと思います。
 主権についてはこのあたりといたしまして、ここからは、この主権の前に地域という言葉を冠した地域主権について、少し論じてみたいと思います。
 この地域主権という言葉は、一体どこから生まれたのでありましょうか。
 高崎経済大学の八木秀次教授は、本年4月15日の参議院総務委員会における国会参考人質疑において、地域主権や新しい公共の政策は、松下圭一法政大学名誉教授の信託説、あるいは、政治主体としての市民主権、国家観念の終えんの論理をオリジナルとしており、松下説は、憲法や行政法の学会では教科書にさえ載らない新奇な説でしかなく、また、国家統治を前提としない地方自治が認められれば、外国人の公務員採用や地方参政権も成立してしまい、これらを国民に明確に知らせず、学会の合意もないままに進めることはまさに言論テロであるなど、地域主権の法制化に問題が多いことを指摘されました。
 一言で言えば、地域主権は国家解体の論理であるということですが、劇作家である平田オリザ氏は、鳩山首相の演説原稿を書いていたとされる人物ですが、友愛公共フォーラム発足記念シンポジウムというところで、次のように発言されています。
 鳩山さんとも話をしているのは、やはり21世紀っていうのは近代国家をどういうふうに解体していくかっていう100年になる。しかし、政治家は、国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは公にはなかなか言えないわけで、選挙に負けない範囲でどういうふうに表現していくかということが僕の立場とこういうことを言っているんですね。もうこれは国家解体の確信犯であります。また、同じ壇上には、元官僚で前内閣官房副長官の松井孝治氏もおられ、こうおっしゃっています。要は、今、平田さんがおっしゃたように、主権国家が国際社会とか地域の政府連合に自分たちの権限を委託するって流れと発言されます。これは、まさに前述しました松下説そのものでありまして、政府の中枢にも既にこの思想が浸透しているのではないかと感じられるのであります。
 国は、国が本来果たすべき役割を担い、住民に身近な行政は地方にゆだねるべく、国と地方の役割分担や国の関与のあり方を見直し、都道府県から市町村へ権限、財源を移譲する、これが地方分権の本来とするところであります。
 しかし、地方分権を装った地域主権により、個々の地域が国家の政治のあり方を最終的に決める権利たる主権を有するとの前提での道州制議論、これによって出現するであろうは、疑似的な共和制国家でしかありません。日本では天皇と国民のきずなの上に主権が成立してきたことを前述しましたが、この君民一体の国体は、疑似的共和制国家の出現によって決定的に分断され、失われることになりますでしょう。地方分権は、国家主権の範囲内で行われなくてはならないのであります。